2010年05月03日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 2719 count

下高井戸にかつてあった世田谷線の開かずの踏切

Written By: 川俣 晶連絡先

 対応が遅くなって済みません。Ornettologyさんよりメッセージを頂きいております。

お世話様です。

相変わらず大したネタではないですが。

世田谷線の下高井戸駅に小さな踏み切りがありますが、現在は下高井戸と三軒茶屋を往復するだけでダイヤの乱れようもありませんが、世田谷線でなく玉電だった頃は、時間帯によっては「開かずの踏切」でした。

玉電松原から下高井戸に入ろうとする車両が、まだ停車している車両を待っている状態で停車していました。ひどい時には2編成も待たされていました。

下高井戸駅の先に線路はなく、踏切が閉まっていても廻り込んでしまえば良かったので、歩行者にとっては大した問題ではなかったですが。

原因がダイヤの乱れなのか車両の故障だったのか記憶にありませんが、駅に入るのを待っている電車から降ろされて、駅まで歩いた記憶があります。

新宿の現在のNSビルの付近で野球をしたことがあります。

もちろん「東京生命球場」ではありません。新宿副都心最初の高層ビルである京王プラザホテルが完成した後、次のビルの建設が開始されるまで結構時間がかかり、空いている間は遊び場だったり、コンサートなどのイベントが開催されてたりしていましたね。

 路面電車が数珠繋ぎになって運転されていた話などはしばしば見かけます。しかし、下高井戸も同じだったわけですね。そういえば、これは「エレベーターの団子運転」と似たようなことかもしれません。

 つまり、先行して運転している車両に乗客が集中し、乗降も時間が掛かるので遅れ気味になり、後続の列車はスムーズに運行されるのでどうしても車両の間隔が徐々に短くなってきて、数珠繋ぎになってしまいます。

 とすれば、これを効率よくさばくためには下高井戸もホームが2本あった方が良かったのかもしれません。

 しかし、そうなるとあの踏切の位置は良くありませんね。確かに開かなくなりそうです。

 新宿の高層ビル群が出来る前、そこで野球をしたという話はしばしば聞きます。本当にここに高層ビルが建つのかなと思いましたが、今や全ての敷地に予定通り高層ビルが建っていて驚きです。今からはまるで想像できない当時の光景ですね。

下高井戸周辺史雑記